祖国復帰50周年記念 4.28 辺戸岬と与論島の海越えのかがり火に、より強く平和を祈る

終戦7年後の4.28をサンフランシスコ講和条約により、本土は独立したが、

沖縄では祖国から切り離された「屈辱の日」と期して、

沖縄の祖国復帰前に辺戸岬と与論島との間で

海上大会と海越えのかがり火を焚いて早期復帰を訴えた。

上図:サンフランシスコ講和条約により設定された日本国と沖縄の国境

昭和38年 1963.4.28 復帰前

参照:最初の海上大会 祖国復帰40周年記念事業 記念誌より

平成14年 2002.4.28 沖縄復帰30周年記念式典のかがり火

参照:最初の海上大会 祖国復帰40周年記念事業 記念誌より

 

平成24年 2012.4.28 沖縄復帰40周年記念式典のかがり火

参照:最初の海上大会 祖国復帰40周年記念事業 記念誌より

令和4年 2022.4.28 沖縄復帰50周年記念式典のかがり火

令和4年 2022.4.28 辺戸岬から与論島の松明が小さな星のように見えました。

 

 

 

 

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復帰後は、30周年、40年そして今年50年に記念イベントとして、
海上大会とかがり火を再現し、戦争の無い恒久平和を祈った。
特に今年は、式典参加者から、ロシアのウクライナへの軍事侵攻による
多くの市民虐殺の非人道行為への怒りや悲しみと、
話し合いでは解決できない人間の感情の愚かさを鑑みながら、
強く平和への願いをお聞きしました。

辺戸岬での沖縄祖国復帰50周年記念の恒久世界平和への願いは、
より強く世界へ発信されたと信じます。

By 山田

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