辺戸岬から「ちむどんどん」のロケ地をまわり「やんばるらしさ」を思う

NHK朝の連続テレビ「ちむどんどん」が放映され一月ほどになり、辺戸岬の観光案内所には、毎日のようにロケ地の質問を頂きます。残念ながら辺戸岬はロケ地にならなかったのですが、私なりにロケ地を割り出し、写真と大まかな位置を辺戸岬からの大体の距離を含めて紹介してみたいと思います。

※最終回を迎えたので、2022.10.2を最終版とします。

比嘉の長男、賢秀がドラ息子を殴ったロケ地を追加 2022.05.22。

<シークワーサーの木と海岸線の崖>

2022.05.18

辺戸岬から110km南の海中道路を通っていける宮城島の北東の海岸線にあります。海岸線は、やんばるというより沖縄本島南部の景観ですが、シークワーサーにより、やんばるらしく見えました。ただ、ここの土地は、アルカリ性の土壌であるため、シークワーサーの生育に適さず、撮影のため植えて、終了後に移植したようです。

2022.05.18 奥の平たい所にシークワーサーが生えていた

ロケ地へ行く途中のサトウキビ畑の中にある走路には、琉球石灰岩が敷かれていて南国の趣があります。ロケ地であることは、この畑で農作業をされていたおばあさんに確認しました。

2022.05.18

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<比嘉家の外観と直ぐ近くの清流>

2022.05.18

比嘉家のロケ地は、東村の北東部にあり辺戸岬から40㎞程70号線を南下した一軒家です。人里離れた「やんばるそのもの」の自然環境の中にあります。

2022.05.18

近くには電柱と電線があり私有地ですので、近くに寄られた際はご配慮下さい。

2022.05.18

道端にコンロンカが出迎えてくれました。

2022.0518

比嘉家へつながる小道のすぐ横に清流が流れています。

2022.05.18

途中まで車で行きますが、悪路であり、砂利道でスタックして大変でした。車はリスク高いです。

2022.05.18
2022.05.18

下流域のトレッキングは、厳しいのでお勧めできませんが、やんばるの原風景を感じることができます。

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<やんばる村のバス停>

2022.05.18

琉球南北バスが止まるバス停は、比嘉家の子供たちの出発の地であり、海の見える高台にあります。辺戸岬から70km南下した名護市天仁屋の海岸沿いの土地整備されたキビ畑走る道路の交差点がロケ地と思われます。ドラマでは、今風の柵をとりアスファルトには白砂をまぶしてましたので、自然な感覚で見れました。琉球南北バスは、昔の軍用バスを連想させました。

2022.05.18

多分、小学生の東京へ行こうとする暢子を追いかけて子供たちが走った道ではないかと思います。

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<山原高等学校>

2022.05.18
2022.05.18

山原高等学校は、名護市の東にある嘉陽小学校の跡地でロケが行われました。バス停から5㎞離れた辺戸岬から75kmくらいに位置します。

2022.05.18

ドラマでは、校庭のトラックは白い砂が敷かれ草が無く明瞭でしたが、今は芝生が生えています。つい数か月前に確かに撮影があった痕跡が見れました。去年の撮影前は、ここにはトラックは識別できなかったです。

2022.05.18

ドラマでたびたび登場した、校庭に隣接した海岸の風景です。海と岩と森林が隣接した学びの館は、やんばるの子供たちを伸び伸びと育んだことでしょう。

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<比嘉の長男、賢秀がドラ息子と喧嘩した堤防と海岸>

2022.05.22
2022.05.22 ロケ地から海 遠くの沖にリーフの白波

比嘉の長男、賢秀が暢子の就職が内定していた会社の社長のドラ息子を殴ったロケ地です。本部半島の北端にある隆起サンゴ礁と白い砂の海岸で、フクギの並木道を通り抜けてたどり着きました。喧嘩とは程遠いのどかな風景でした。印象は、沖縄本島南部の風景で、比嘉家のある北やんばるの海岸とはイメージが異なります。もともと本部半島は「やんばる」ですので、この海岸は、やんばるの少数派の海岸と思います。

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<比嘉家のピクニック海岸は、天然の岩舞台>

子供たちの海遊び場

東京から来た暢子の同級生の和彦に、「ちむどんどん」は、心臓がどきどきワクワクすると説明した海岸だと思います。昭和30年代の子供たちの遊びは、海で貝や魚を採って、浜で焚火で焼いて食べるシーンがありました。多分、やんばるだけでなく、全国の海岸が同じように子供たちは遊んでいたのではないでしょうか。

本部半島の隆起サンゴ礁と強い日差しが白い砂に反射してエメラルドグリーンの水面、遠くにリーフが見えて内海であるイノーが広がる南国沖縄のイメージの風景が広がっています。

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ピクニックの岩 まるで天然の舞台
天然の岩の舞台を 下から

一家でお弁当を広げるピクニックシーン、暢子の女学友の早苗とサーターアンダギーを食べながら将来を語るシーンで登場する岩の舞台です。

白浜に降りて下からこの舞台を見ると、琉球石灰岩の大きな地層がみられました。沖縄本島の名護以北では、酸性土壌の千枚岩が多く、あまり見られません。比嘉家のある東村の海岸は、赤茶けた浜ですので、南国の沖縄の一般的イメージを演出したかったので30kmほど離れた今帰仁村を選んだのかなと思います。

赤墓

ロケ地のすぐ近くに琉球歴史ロマンの場所がある。沖縄で百姓から王様に昇り上がった尚円王は、20代で伊是名島から出たとき、一家は、二艘に分乗し尚円王の船は国頭村に、弟の上間大親は今帰仁村に着いた。尚円王の死後、子供の尚真王に見いだされる。赤墓(あかばか)は、上間大親の墓で赤い枠組みがあったのが名前の由来とされる。

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子供ポスト

暢子と和彦の手紙をやり取りするために作られたポストのあった場所と思える浜への出入口が近くにありました。

<やんばる村の全景ロケ地への小道は「燦燦」> 2022.07.23

やんばるには「やんばる村」は実在しないが、ドラマでは自然に存在していて、その全景がたびたび登場している。

やんばる村全景
ヒンバ森への石段の木漏れ日

やんばる村全景のロケ地は、大宜味村の芭蕉布会館に近い丘「喜如嘉ヒンバ森」の頂上で、そこからみた東シナ海と民家の風景が全景になります。車道から頂上に向け100段ほどの石段を上る途中の漏れる木漏れ日が、オープニングの1シーンを連想させて、テーマ曲「燦燦」が聴こえてきそうな気持よさがありまし

<今も昔も、やんばるの都会 名護市> 2022.10.2

やんばるの奥地から最も近い都会は、名護市で長女の良子の初恋の青春の舞台となった印象が強いので、昭和40年代の方が今より賑やかだったのではないかと思ったりします。最終回の最後で、時が令和にワープしたので、現在の夕日を浴びる名護市の全景を載せてみた。

名護市を含め全国の地方都市の先細りに、「まくとぅそうけー、なんくるないさ!」と、時代に抗って盛り上げていこうとする「ちむどんどん」の方々へ、「ちばりょうー!!」と応援の気持ちを送ります。

夕日を浴びる名護市
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By 山田

 

沖縄本島北端の辺戸集落で気楽に神様に近い暮しと自然をツアー体験 2020.1.19

沖縄本島最北の辺戸区は、沖縄を創られた神様が最初に光臨された聖地「安須杜」岩山の麓に広がる集落です。集落を歩くと古来からの風が吹き、神様を敬った里山の暮らしと自然が匂いたちます。

今回のツアーの企画は、辺戸区長の平良さん(今回のガイドさん)が行っているツアーを基に、沖縄本島最北の三区(宇嘉区、宜名真区、辺戸区)の協賛で辺戸岬観光案内所も加わって立案したモニターツアーです。モニターツアーは、午前の部と午後の部に分かれ、所要時間が2時間強のほぼ同じ経路でした。

まず、辺戸岬観光案内所に参加者が集合し、義本王の墓近くの駐車場に再集結して、風土体験ツアーが開始されました。

午前の部参加者とガイド、関係者
午後の部 参加者とガイド 記念写真撮り忘れ、すみません。

<蔡温の松並木の散策>

蔡温の松並木は、辺戸集落に近くまた山里の自然が豊かで、散策路のいたる所で荘厳な安須杜や緑濃ゆい森林が臨めます。木漏れ日と優しい風で心が洗われました。

硬くて古い石灰岩で作られた散策路は、歩きやすく整備され、経路の大部分が高木の傘の下でした。

散策路の近くに直径1mを超える巨大な琉球松の木があります。散策路から離脱できないので、このような巨木をワンショットで撮影するのは無理です。幹とたくましく張った根を撮るだけでも絵になります。また、土壌の安定性が悪いため板根化した樹木が散策路の近くにありました。ガイドさんから板根の植生を聞いて、脳の無い植物の知恵に感銘しました。

森の中には、色々な小動物がひっそりと生きています。幹に宿るヤマタカマイマイの子供やキセル貝を探し当てて、そっと皆で興奮していました。

散策路のわきに食べれるホウビカンジュが自生しているとの事。

ちょっと味見会してみました。美味しい!! そのままサラダに使える食材と思いました。

ふと空が広がって、松とイタジイの森が絶景でした。

1m越えの切り株 病気のためバッサリ ガイドさんの声が寂しそうでした。

ツアー途中でお茶休憩。暖かく香ばしいハーブティ「カラギ茶」とお菓子で、さらに癒され、お替りしました。

ガイドさんによる神様と地元の人々の関わり合いについて説明を受けました。安須杜を眺めながら拝聴すると、この山には神様が今も鎮座されて見守っておられるように感じました。

< 辺戸集落の暮らし >

古来、辺戸で祭事を仕切っておられたノロさんの祈りの場所ウガンシュにて、お祈りを捧げました。辺戸のノロは、琉球王朝から任命され、王朝へ捧げる重要な若水を取り聖地を守り地域の安寧を祈る重責を400年続けてこられたとのこと。私はノロの しめやかなお屋敷に普通に正月飾りがあることに、琉球人の神も神道も仏もおおらかに敬い親しむ気持ちよさを感じました。

辺戸の集落は、昔から水の宝庫で生活用水も身近に湧いていた。生活に近い水場は、正に井戸端会議の舞台であったようで、今でも使える井戸の縁に立つと昔から続く生活の雰囲気を感じました。

共同売店にある寄り合い会議室で、祖母が辺戸最後のノロであった地元のお婆さんを囲んで、色々とお話しを伺いました。ノロは世襲制ではなく霊力をもった適正な方が推挙されノロとなれるとのこと。祖母は与那の人だったが、ご自身の霊感によりノロの依頼が来ることを予見して心構えをしていたとのこと。当時、辺戸集落にはノロが不在で悪い気があり、辺戸の人たちは祖母をノロに迎えることを決めて夜中、竹三本で松明を作り祖母の元にノロを依頼されたこと。覚悟していた祖母と母は辺戸に移り住んで、辺戸に安寧がもたらされたこと。ノロにとって大切なマガタマが紛失したが奇跡的に戻ってきたこと。 ツアーの方々は、お婆さんの話の内容だけでなく語り部の醸し出す雰囲気に感じ入った様子でした。

<  義本王の墓>

国道58号線から急な石段と山道を登り義本王のお墓へ行きました。

義本王は、城時代(鎌倉時代)の浦添の王家の3代目で、在位時に天災や疫病のため世が乱れ王座をさりました。退位の過程が沖縄の著名な歴史書の間で異なり、また義本王の墓が多数あるため訪れた辺戸の墓について現在も調査中とのこと。

 

義本王の墓を観てツアーは終了でした。その後、参加された皆さんのご感想を伺い、楽しまれたことをお聞きして関係者一同大変うれしかったです。また、次回を期待する声も頂き励みになりました。今回のモニターツアーに参加された皆様、有難うございました。また、関係者の皆様お疲れ様でした。

株式会社ファーマーズ・フォレスト 石井さん、写真提供有難うございました。

By 山田