沖縄島北部の新テーマパーク JUNGLIA の着工現場に立って、やんばる観光を思う。

旅人には、引寄せられるようにふと立ち寄り、遠い昔に来たことがある錯覚を覚える出会いの楽しみがある。私にとっては、やんばる路が、まさにそうである。

やんばるを散歩をすると、まるで自分の遺伝子あるいは魂が生まれる前に、そこで息づいていた記憶が、心の底から湧き上がってくる。その場の空気が体内に入り巡り吐き出され近くの濃い緑に溶けていくことが容易に想像できる。この一体化したような心地よさにゆったりと浸ることが、私にとってやんばる路の楽しみである。

密林や清流、海辺を歩けば、太古においても樹木やサンゴが繁茂して今と同じような風景であったにちがいない。そこでは、ご先祖が子供のころ感じたのと同じようなワクワク感が今の自分に湧いてきたと勝手に想像して時空を超えた気分になる。

私は、8年前、東京の技術系企業を50歳半ばで辞め、子供の頃から憧れていた「やんばる」に移住し、観光を生業にすることを決意した。

最初の1年は、ひたすらやんばるを歩きまわり、ゆっくり「やんばる路」を楽しんだ。たとえ、外来種が森に満たされていても馴染んでいれば、やんばると感じられ、素直に受け入れられた。

やがて、最初の新鮮な感覚は、回数を重ね日常化してしまい、今では、ほぼ、磯でカゴ餌釣りばかりしている。珊瑚の海に潜ったり釣りをするのは、狩猟本能そのものであり、やんばると触れ合いたい感情とは基本的に異なる。

今でも、たまにやんばる路を歩くのだが、昔のように穏やかで優しく満たしてくれる。これが私の思うやんばるである。

昨月2023年11月に、やんばるで観光に携わる者にとっては衝撃的なニュースが流れた。ディズニーランドのような世界市場に知られるアミューズメントパークを目指して、2年後に沖縄本島北部のやんばるの地で JUNGLIAの名で開業すると、多くのメディアで大きな期待を込めて話題となった。

私も、うわさは聞いていたが強烈な衝撃を受けた。例えば、手漕ぎボードで釣りをしてたら急に豪華クルーズ船が現れて、その波の衝撃を受けた感じであった。やんばるのひっそり静かな佇まいを味わうのではなく、恐竜に追いかけられ空を飛び花火が打ちあがっり、はっちゃけるそうだ。そのキャッチフレーズは、

「Power Vacance!」

「南国の絶景に身を溶け込ませる。」

「真にリアルなエンターテイメントを全身で体感する、贅沢。」

「経験したことのない解放感が本能を貫き、

「人生でいちばん、心が昂る体験になる。」

現代社会のストレスの深層にある「はっちゃけ解放欲」をエネルギッシュでパワフルに爆発させて、ゴージャスに癒すアミューズメントの舞台にやんばるが適するそうである。

世界に向けた観光産業を興していくには、大衆の今までにない潜在需要を大きな具体的な形にして、1000億円近くを起爆剤に沖縄を震源地に大きな波を立てていくのであろう。

アミューズメントだけでなく事業展開も想像するだけで楽しみである。強いマーケティングで生み出されたビジネスモデルを基礎とした経営は、順風満帆であろうと思われるが、ジェットコースター状況を眺めてみたい、と少し思ったりもする。

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2023.12.25 パイナップル畑と勝津宇岳

着工現場に近くの道には、茶畑やパイナップル畑が隣接していて、国頭の山奥と同じ酸性土壌で、イタジイの森なども頂上から眺められる。遠くには、辺戸岬のカルストと同じ岩石を持った八重岳や嘉津宇岳が見れる。予定地は、やんばるの酸性土壌とアルカリ土壌の間に位置しているので、両方の植生があり「やんばる」の下地として最適なのかもしれない。

恐竜が生息してても不思議でないような密林のヒカゲヘゴの木陰からテラノザウルスの大きな牙が迫ってきたら大きなスリルであることは容易に想像できる。

2023.12.25 嵐山から望む屋蛾地湾

羽地内海と浮島を気球で上がった高所からみたら、熱帯ジャングルのイメージが十分に演出するのであろう。

2023.12.25 作業者の車

建築現場は、見た感じで9割以上は一旦さら地にされている。

数百台の作業員の車が見えて、雇用を含めた地域産業の活性化が進むと期待できる。

このパークは、やんばるを料理盛りつけ皿にして、創造したエンターテイメントを盛り付けるのである。多くの英知を集計し最適されたやんばるが演出されるのである。真にリアルなエンターテイメントは、真のやんばるの自然ではないが、現代人の本能を突き刺す満足度の高いエネルギッシュでパワフルなストーリなのであろう。楽しみである。

このエンターテイメントが、旧来のやんばる路の旅とをハイライトさせて、両方で多くの沖縄観光産業が発展するサイクルが展開されると期待される。

辺戸岬観光案内所では、北やんばりの観光客動向を辺戸岬への観光客数の日々計測から月単位で5年間算定している。私は、JUNGLIAの開業による観光客誘致のインパクトを計量してみようと楽しみにしている。

ちなみに、北やんばるの観光興味のある方は、辺戸岬での評価結果が同じサイト内のメニューから、

北やんばるの観光動向 に詳細データともに公開している。

 

BY 山田YRN

 

辺戸岬から「ちむどんどん」のロケ地をまわり「やんばるらしさ」を思う

NHK朝の連続テレビ「ちむどんどん」が放映され一月ほどになり、辺戸岬の観光案内所には、毎日のようにロケ地の質問を頂きます。残念ながら辺戸岬はロケ地にならなかったのですが、私なりにロケ地を割り出し、写真と大まかな位置を辺戸岬からの大体の距離を含めて紹介してみたいと思います。

※最終回を迎えたので、2022.10.2を最終版とします。

比嘉の長男、賢秀がドラ息子を殴ったロケ地を追加 2022.05.22。

<シークワーサーの木と海岸線の崖>

2022.05.18

辺戸岬から110km南の海中道路を通っていける宮城島の北東の海岸線にあります。海岸線は、やんばるというより沖縄本島南部の景観ですが、シークワーサーにより、やんばるらしく見えました。ただ、ここの土地は、アルカリ性の土壌であるため、シークワーサーの生育に適さず、撮影のため植えて、終了後に移植したようです。

2022.05.18 奥の平たい所にシークワーサーが生えていた

ロケ地へ行く途中のサトウキビ畑の中にある走路には、琉球石灰岩が敷かれていて南国の趣があります。ロケ地であることは、この畑で農作業をされていたおばあさんに確認しました。

2022.05.18

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<比嘉家の外観と直ぐ近くの清流>

2022.05.18

比嘉家のロケ地は、東村の北東部にあり辺戸岬から40㎞程70号線を南下した一軒家です。人里離れた「やんばるそのもの」の自然環境の中にあります。

2022.05.18

近くには電柱と電線があり私有地ですので、近くに寄られた際はご配慮下さい。

2022.05.18

道端にコンロンカが出迎えてくれました。

2022.0518

比嘉家へつながる小道のすぐ横に清流が流れています。

2022.05.18

途中まで車で行きますが、悪路であり、砂利道でスタックして大変でした。車はリスク高いです。

2022.05.18
2022.05.18

下流域のトレッキングは、厳しいのでお勧めできませんが、やんばるの原風景を感じることができます。

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<やんばる村のバス停>

2022.05.18

琉球南北バスが止まるバス停は、比嘉家の子供たちの出発の地であり、海の見える高台にあります。辺戸岬から70km南下した名護市天仁屋の海岸沿いの土地整備されたキビ畑走る道路の交差点がロケ地と思われます。ドラマでは、今風の柵をとりアスファルトには白砂をまぶしてましたので、自然な感覚で見れました。琉球南北バスは、昔の軍用バスを連想させました。

2022.05.18

多分、小学生の東京へ行こうとする暢子を追いかけて子供たちが走った道ではないかと思います。

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<山原高等学校>

2022.05.18
2022.05.18

山原高等学校は、名護市の東にある嘉陽小学校の跡地でロケが行われました。バス停から5㎞離れた辺戸岬から75kmくらいに位置します。

2022.05.18

ドラマでは、校庭のトラックは白い砂が敷かれ草が無く明瞭でしたが、今は芝生が生えています。つい数か月前に確かに撮影があった痕跡が見れました。去年の撮影前は、ここにはトラックは識別できなかったです。

2022.05.18

ドラマでたびたび登場した、校庭に隣接した海岸の風景です。海と岩と森林が隣接した学びの館は、やんばるの子供たちを伸び伸びと育んだことでしょう。

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<比嘉の長男、賢秀がドラ息子と喧嘩した堤防と海岸>

2022.05.22
2022.05.22 ロケ地から海 遠くの沖にリーフの白波

比嘉の長男、賢秀が暢子の就職が内定していた会社の社長のドラ息子を殴ったロケ地です。本部半島の北端にある隆起サンゴ礁と白い砂の海岸で、フクギの並木道を通り抜けてたどり着きました。喧嘩とは程遠いのどかな風景でした。印象は、沖縄本島南部の風景で、比嘉家のある北やんばるの海岸とはイメージが異なります。もともと本部半島は「やんばる」ですので、この海岸は、やんばるの少数派の海岸と思います。

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<比嘉家のピクニック海岸は、天然の岩舞台>

子供たちの海遊び場

東京から来た暢子の同級生の和彦に、「ちむどんどん」は、心臓がどきどきワクワクすると説明した海岸だと思います。昭和30年代の子供たちの遊びは、海で貝や魚を採って、浜で焚火で焼いて食べるシーンがありました。多分、やんばるだけでなく、全国の海岸が同じように子供たちは遊んでいたのではないでしょうか。

本部半島の隆起サンゴ礁と強い日差しが白い砂に反射してエメラルドグリーンの水面、遠くにリーフが見えて内海であるイノーが広がる南国沖縄のイメージの風景が広がっています。

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ピクニックの岩 まるで天然の舞台
天然の岩の舞台を 下から

一家でお弁当を広げるピクニックシーン、暢子の女学友の早苗とサーターアンダギーを食べながら将来を語るシーンで登場する岩の舞台です。

白浜に降りて下からこの舞台を見ると、琉球石灰岩の大きな地層がみられました。沖縄本島の名護以北では、酸性土壌の千枚岩が多く、あまり見られません。比嘉家のある東村の海岸は、赤茶けた浜ですので、南国の沖縄の一般的イメージを演出したかったので30kmほど離れた今帰仁村を選んだのかなと思います。

赤墓

ロケ地のすぐ近くに琉球歴史ロマンの場所がある。沖縄で百姓から王様に昇り上がった尚円王は、20代で伊是名島から出たとき、一家は、二艘に分乗し尚円王の船は国頭村に、弟の上間大親は今帰仁村に着いた。尚円王の死後、子供の尚真王に見いだされる。赤墓(あかばか)は、上間大親の墓で赤い枠組みがあったのが名前の由来とされる。

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子供ポスト

暢子と和彦の手紙をやり取りするために作られたポストのあった場所と思える浜への出入口が近くにありました。

<やんばる村の全景ロケ地への小道は「燦燦」> 2022.07.23

やんばるには「やんばる村」は実在しないが、ドラマでは自然に存在していて、その全景がたびたび登場している。

やんばる村全景
ヒンバ森への石段の木漏れ日

やんばる村全景のロケ地は、大宜味村の芭蕉布会館に近い丘「喜如嘉ヒンバ森」の頂上で、そこからみた東シナ海と民家の風景が全景になります。車道から頂上に向け100段ほどの石段を上る途中の漏れる木漏れ日が、オープニングの1シーンを連想させて、テーマ曲「燦燦」が聴こえてきそうな気持よさがありまし

<今も昔も、やんばるの都会 名護市> 2022.10.2

やんばるの奥地から最も近い都会は、名護市で長女の良子の初恋の青春の舞台となった印象が強いので、昭和40年代の方が今より賑やかだったのではないかと思ったりします。最終回の最後で、時が令和にワープしたので、現在の夕日を浴びる名護市の全景を載せてみた。

名護市を含め全国の地方都市の先細りに、「まくとぅそうけー、なんくるないさ!」と、時代に抗って盛り上げていこうとする「ちむどんどん」の方々へ、「ちばりょうー!!」と応援の気持ちを送ります。

夕日を浴びる名護市
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By 山田

 

2021 辺戸岬の初日の出

2021年、新年明けましておめでとうございます。Happy new year.

今年も多くの方が、コロナ対策を取られて、辺戸岬の潮風を吸いに来られるのを心よりお待ちしております。

We are looking forward to seeing many people come to breathe the sea wind of Cape Hedo this year as well, with COVID-19 preventions from spreading.

 

 

沖縄の富士山、小一時間で登れる本部富士からの東シナ海の絶景パノラマ

沖縄にも富士の名を頂く山がヤンバルに幾つかあります。本部半島にあるウフグシクムイは、石灰岩が浸食されてできた円錐カルスの山で、姿が富士山に似ているので、本部富士と呼ばれるようになったそうです。人気の登山スポットで、辺戸岬の案内所でも本部富士について聞かれることがあり、見分を兼ねて登ってみました。

名護市から国道449号で今帰仁方向へ向かう場合のルートを示します。国道449号が505号になりソニー坊や像から数十メートル先の三つ目の交差点を右折します。少し行くと、本部富士と矢印の表示版があり、右折後数十メートル先の最初の交差点を左折し、道なりに行くとゴルフ場を横断して、4台くらいが止めれる駐車場に着きます。その駐車場の先に、本部ふるさと歩道の入口があります。

 

本部ふるさと歩道入口
ふるさと歩道のMAP

本部ふるさと歩道の反対側は、北ぬ方御嶽から北側にある「本部ふるさと歩道駐車場」につながっていているので、御嶽によってから昇るルートもお勧めです。

本部ふるさと歩道から本部富士への入口は、歩道入口から約200メートル程、反対側からは約500メート程であり、入口の表示が分かりにくく丈夫でなので、登山入口の歩道の石の模様も掲載しました。

2億年前の硬いとがった石灰岩と急斜面を登ること約30分で頂上に着く。山頂からは隣の円錐カルストの山、瀬底島、海洋公園の海岸線、八重岳などが眺望でき、富士山に登った達成感を味わえる。

瀬底島の方向 小さな編水カルストの形がはっきり見える
美ら海水族館の方向

沖縄を楽しむには、まずはビーチサンダルですが、ハイキングシューズと軍手(必須)があれば、ヤンバルの森林や登山気分を楽しめます。

次は、塩屋富士です。12月22日に大宜味村の上原区で琉球アサギマダラと言う蝶の集団越冬を観る途中で、少し塩屋富士を観ました。登山ルートは現在調査中です。

山尾根右側のこぶが塩屋富士

By 山田

 

沖縄本島北端、ヤンバルの自然と歴史が育んだ奥の茶、特に紅茶が美味しい

Okinawa Tea

沖縄は、琉球の時代からお茶貧乏であった。沖縄の蒸し暑い気候のため、お茶の需要は高かったが、島内の生産量が少なく、日本本土や台湾から輸入に依存し、外貨の流出を招いていた。琉球王府時代から平成に至るまで、島内の生産量を増やし安く流通させる多くの政策が施行されたが、県民の茶への嗜好性の点等から大きな安定した事業に成長することは難しかった。その中で、際立って光を放つ一時代を作ったのが、ヤンバル奥地区である。

国頭村 奥の茶畑
国頭村 奥の茶畑

奥での本格的な茶栽培は、1929年(昭和4年)種苗圃の着手で始まった。1933年(昭和8年)に24名で茶業組合を結成した。その後、県から技官を迎えて台湾の釜炒機を導入した工場を建て、品質向上と生産量拡大を行い、組合60余名、農家の半数がお茶に関わった。

茶摘みはさみ

戦後、1948年(昭和23年)に74名で任意団体「奥茶業組合」を作り、焼け跡からトタンぶき簡易茶工場を新設し再興にまい進した。この組合での運営は、共同助け合い(ゆいまーる)の精神に基づいており、各員が有機的につながり、味が良く生産量を向上させた。また、本土へ研修者を送り、当時の最先端の技術や嗜好の情報を取り入れた。

沖縄復帰1972年(昭和47年)で、琉球政府の保護政策が無くなり、本土のお茶が安く入る厳しい状況となったが、奥茶業組合は、団結して品質と生産量を向上させ、本土への流通経路を安定し流通単価を下げる努力の結果、著しい業績を上げた。この業績が認められて、1975年(昭和50年)に、毎年全国より新しい農業事業の中でとくに優秀な団体を選出する朝日農業賞、1976年(昭和51年)に沖縄タイムズ産業賞を受賞した。

茶摘み機

平成に入ると組合員の高年齢化で二人で扱う重たい茶摘み機が負担になり、軽量の農機具を使うシークワーサ(柑橘類)に徐々に移行し茶畑の面積が減少した。生産量が減少した別の一因として、沖縄の島産茶への嗜好性が低かった問題があり、早摘み茶として本土市場を主体とした流通体制に固定化されたことが考えられる。本土の時流が悪くなったときに安定した地元の需要が広く定着していなかったため、本土の需要縮小に伴い生産量が減少したと思われる。

令和となった今でも、奥のお茶は生産されており、奥共同店でも緑茶と紅茶が店の入って直ぐの一等地で販売されている。緑茶もバランスが取れて美味しいですが、紅茶は「東方美人」ウーロン茶に似て、蜜入りのような甘みがあり何も足さずに美味しく飲めます。

奥共同店の入り口が空くと奥産お茶がお出迎え
奥共同店の入り口が空くと奥産お茶がお出迎え

読者の皆様、ヤンバルの北端へお出かけの際は、辺戸岬から約8kmの奥地区へ足を延ばし、奥共同店でお茶をお求めになってはいかがでしょうか。亜熱帯の森林に開けた茶畑を想像しながら味わうと、とてもリラックスできると思います。

濃ゆ目の熱い紅茶で

私は、保温カップに沖縄の蒸留酒である泡盛を熱い濃ゆい紅茶で割って、香りと旨さをゆっくりと味わっています。

By 山田