沖縄本島の最北端である辺戸岬には、休日の天気の良い日には、多くのバイクがやってくる。
そのなかで、昭和後半の古いバイクを駐車場に並べて、のんびり時間を過ごす「昔の若者たち」を多く目にする。
彼らは、半世紀前のビンテージを磨き上げ調整し、めんどくさい操作を楽しんで岬に着いた後、海原と岩山の風景に自分のバイクを溶け込ませて、ノスタルジックに視線を遠くに向けたりする。
やんばるにも、昭和には多くのサバニと呼ばれる沖縄独特の10mに満たない木造の漁船が数多く活躍して、厳しくも豊かな海の恵みで島々の乏しい食生活を支え豊かにしていた。サバニ漁師は、流線型で転覆し易い船体を自分の体の一部として、荒波に立ち向かい千里を駆け巡った。彼らにとっては、命がけの仕事の重さを担う以外に、現代のバイクとライダーのような感覚があったのではないかと思えたりする。
平成になると、木造漁船は疎んじられ軽量で安価なグラスファイバー船へと移り変わる。徐々にサバニの居場所が失われ、また木造であるが故に劣化が進みやすく、今では殆どみることは無い。
今、やんばるで唯一現役のサバニが見られるのは、大宜味村の田嘉里川の下流の浜から100mほど上流に置かれている一艇ではないだろうか。
サバニを扱う「昔の若者」にとって、現役の老獅子は、青春のシンボルで宝物である。そのため、深い愛着と何とか残し続けたい強い思いが、流線型の美しさを保ってきたのであろう。その舟板が浸食された雄姿は、重厚な哀愁ノスタルジーを背負い、夕日に映える。
この田嘉里川の現役サバニの搭載品を見ると、魚群探知機や釣れた大物を引き上げるためのフックがあり、やんばるの海原の漁が垣間見られたりする。
去年、幸運にも持ち主と思われるご老人の方が、船を浮かべてエンジンの整備をしている光景をみることができた。
船の主は、半世紀前のビンテージに息を吹きかけ、昔捕った大物や大漁の歓声を楽しく思い浮かべながら、エンジンにオイルを指し点検を楽しんでいるに違い無い、あるいは次の出撃に向けて最も恐怖である海原でのエンジン故障への安心を醸成していると勝手に思えりした。
できるだけ長く、古き良き沖縄の風を残して頂くよう祈るばかりである。
その一方で、昭和の古いやんばるの輝きがゆっくり色あせるのは、昭和に若者であった自分が老いていくのと同調しているようで、気持の良い感覚でもある。
By 山田YRN
わぬ